砂のクロニクル

今、『砂のクロニクル』(船戸与一)を読んでいます。


砂のクロニクル〈上〉 (新潮文庫)

砂のクロニクル〈上〉 (新潮文庫)

砂のクロニクル〈下〉 (新潮文庫)

砂のクロニクル〈下〉 (新潮文庫)

かなり昔に父親から借りていつか読もうと思って手元においておいたのですがなかなか読む機会がなく(というかめんどくさくて読む気にならなかった)放置されていた代物でした。


この間ひょんなことからこの小説を読み始め、見事にはまってしまいました。


物語の舞台は南アジアから中央アジア、中東、北欧の一部なのですが、かなり詳細な国際関係や当時(1988年前後)の現地の様子が描きこまれていて感心します。

中心となるのはイランのクルド族の独立闘争。しかしこれは建前だけで多分この著者は相当インテリぶるタイプの国際政治マニアなのでしょう、独立の動きや武器商人の動きに沿って様々な地域の歴史や動向が微細に解説されています。
ですからイランのクルド族に焦点を当てているというよりはイラン革命の後の世界を著者の歴史観と著者の物語的センスで一つの抒情詩に完成させている。だから歴史に厳格な人やフィクションを嫌う人々には好まれない作品の一つでしょう。
また、この著者はインテリぶると先ほど言いましたが、例えば登場人物の台詞や何気ない描写のなかに、国際関係に関する言及が多く見出されます。そこまではまぁわかるのですが、それをやたらと説明したがるのです。つまり私たちが知っている、またはこの小説を途中まで読んでわかってきた事実や国際関係のある種の法則みたいなものを何度も何度も説明している。これは正直読者を馬鹿にしすぎじゃないかなぁと思いましたし、僕も少々気分が悪くなりました。説明しすぎてまるで国際関係入門書のような仕上がりになってしまっているといっても過言ではないと思います。とはいえ、日本人はとかく国際的な事項に疎いですから、著者の意図としてはそれを伝えたいという部分が大きかったのでしょう。ちなみに著者はルポライターをやっていた経歴がありますから。そのときの癖が残っているのでは?と解釈しました。
それから僕には良くわかりませんがこれはどうなんだ・・・という出来事がいくつかあります。そしてこれが決定的に国際的な評価を受けにくく(といっても現在村上春樹以外の作家は外国ではほとんど読まれてはいないでしょうが)している要因といえるでしょう。
それは、イスラームに対する著者の軽視です。この物語は話が進むにつれてムスリムの登場人物がだんだんアッラーを無視するようになってくるんです。無視というか、自分の人生や生活を規定する第一の存在としてのアッラーではなくなっていってしまう。例えば主人公の一人であるサミル・セイフはかなりイマム・ホメイニに心酔していてイスラム革命に傾倒している。しかし革命防衛隊(セパヘ・パスダラン)のなかで腐敗が横行しそれをただしていこうとする段になると彼はだんだんイスラム革命の精神とも言うべき革命防衛隊の法規に違反することもアッラーはお許しになるだろうと感じ始めるようになる。さらに親友のアハマド・バールを殺すときなどには、もはやアッラーに許されることもあきらめ、完全にアッラーを軽視するようになる。
彼の実の姉であるシーリーンもセイフの前に登場したときすでにイスラームを捨て去っていたし、クルドのハッサンとハーリダが交わるシーンでも彼らはアッラーなどどうでもいいかのように振舞っている。
まるでイスラームが、アッラーが物語を盛り上げるための一つの機能だったり、障害のように感じる。


僕は、これ等の描写が実はかなり敏感な問題なのにもかかわらず無遠慮に行われているように感じた。例えば著者のこの描写やイスラームを捨てることに対する何か主張のようなものが含まれていればそれはそれなりに議論の余地があるのであろう。しかしながらこれ等の行為はただ日本人的感覚で、宗教こそは人々の生活を実のところ縛る根源であり、真に人間らしく生活し生きるということは宗教を捨てることであるという他者を受け入れる方向とは間逆の方向で描かれてしまっているように感じる。宗教を捨てるということはイスラーム教徒にとっては現実的ではない。イスラームを捨てることはイスラーム法では死を意味します。まぁ、アッラーを捨てたものたちは結局物語の最後で死んでいくのですが・・・。彼らにとって現実的でなければいかに現実の国際問題に絡め詳細に物語を構成したところでそれは陳腐な私小説に終わってしまうのです。




・・・・とまぁ批判ばかり書きましたが詳細に描かれる事実のほうは読んでいてあきませんし、物語の構成力や展開力もなかなかのものでさすがに山本周五郎賞を取っているだけのことはあります。また何よりすごいのは作者の取材力でしょう。物語後の解説にもこのことが書かれていましたが著者は相当この地域について勉強を重ねたらしく、1991年の時点でイラン革命やその当時のタイムリーな国際事項をそれなりの方向性を持って描くことには成功していると思います。

でもやっぱりこれは単なる物語、冒険小説、ノンフィクションの域を出ることはありません。

でも面白いからいっかw